卓球を始めた頃に持っていた夢を覚えてますか?
私は、中学1年生から卓球を始めました。
以降、40年以上卓球を続けています。
受験や仕事の関係で中断した時期も、もちろんありました。
しかし、それが終わると、何故か私はまたラケットを握っているのです。
卓球を始めた頃、漠然と思っていた「夢」みたいなものがありました。
最近、思わぬ形でその夢が叶いました。
今号は、そんな「夢」の話をします。
戦型はカットマンでした
中学1年生の時に、1学年上の先輩の前に1年生全員が並べられました。
そこで、戦型が決められました。
1人の先輩が、一人一人の顔を見ながら、戦型を決めて行くのです。
- お前は攻撃
- お前も攻撃
- お前も攻撃型な
そんな感じで、先輩が決めたのです。
もう、めっちゃ適当です!(笑)
私の番が来ました。
- お前は・・・、カットマンな
- はぁ・・・
- どん臭そうな(鈍そうな)ヤツはカットマンや
- ・・・(あ、そうスか)
- 全員、自分の戦型は分かったな。では解散!
そうやって、私のカットマン人生が始まったのです。
因みに、他の2人のカットマンは異質ラバーで、私は両面裏ソフトに決められました。
理由は、「お前はいかにも不器用そうだから、異質ラバーは使いこなせないだろう?」でした。
その先輩の見立て通り、私は全く目が出ず、他の2人はレギュラーになりました。
あれから40年以上経った今は、両面裏ソフトでカットマンを始めて、本当に良かったと思っています。
全然勝てなかったし、結果的にはかなりの遠回りをしたのですが、今となってはそれも必要なことだったのだと思うのです。
憧れの高島規郎選手
当時の全日本チャンピオンは、ミスターカットマンの高島規郎選手でした。
その頃、全国各地を転戦して行われた日中交歓大会で、高島選手が当時私が住んでいた町にやってきたのです。
試合後、高島選手は後輩の小野誠二選手と、体育館の外に歩いて出てきました。
その周りを卓球ファンの地元の中高生が、ぞろぞろと遠巻きにしながらついて歩きました。
私は思い切って高島選手の前に歩み出て、握手を求めたのです。
高島選手は、静かに笑って応じてくれました。
ド緊張している変な坊主頭の中学生が、奇妙に映ったのかも知れません。(笑)
柔らかくて温かくて大きな手でした。
私を皮切りに、多くのファンが握手を求めて殺到していました。
今思えば、この体験が私の卓球の原点かも知れません。
- 高島選手の様なカットマンになりたい!
- 高島選手が出場している全日本選手権ってどんな大会なんだろう
- いつかは、全日本選手権に出てみたい
当時の私は、純粋にそう思いました。
私が高校生の時に、高島選手のルーツを知る機会がありました。
高島選手は卓球を始めた時は、両面一枚ラバーだったのだそうです。
その後、両面裏ソフトのカットマンでずっと活躍しており、異質ラバーになったのは膝の故障があったためで、選手としてはかなり後半になってからとのことです。
両面裏ソフトを使っている自分は、高島選手をトレースしているのだと勝手に思い込んで、嬉しかったのを覚えています。(笑)
挑戦と挫折
社会人になって数年した後、全日本選手権の静岡県予選に挑戦しました。
私が、30代の前半だった頃のことです。
2回戦で、卓球の名門ヤマハ(旧日本楽器)のH選手と対戦しました。
当時は21本制でしたが、1-21, 4-21で負けました。
合計で、5本しか獲れなかったのです。
実力差があり過ぎました。
H選手は途中から私にわざと打たせて、次の試合に向けて練習をしている様でした。
そのH選手と実力的に並ぶ選手が沢山いて、ベスト8以上を独占していたのです。
私にとっては、天上人の世界に思えました。
「住む世界が違う・・・」
私は敢え無く挫折をし、挑戦する気持ちも持てなくなりました。
転機
それからまた月日が流れ、先輩から誘われて一緒に出場した大会が転機となりました。
それが、マスターズの部静岡県予選です。
私は50代になっていました。
お恥ずかしい話ですが、どんな大会なのかよく分かっておらず、とにかく試合に出てみようという軽い動機だったのです。
ところが、出場してみると大会の雰囲気がこれまでと全然違いました。
同じ年代の人たちが、とても真剣にアップし試合に臨んでいるのです。
緊張したピリッとした雰囲気が、他の大会と全然違ったのを直感的に感じ、いつも以上に真剣に試合をしました。
その時は1回戦で負けてしまったのですが、一緒に出た卓球仲間と、「この大会の真剣な雰囲気、いいね。みんなでまた挑戦しようよ」と話し合いました。
そうだ、ずっと忘れていた。この感じだ。
まだ20代の学生だった頃に味わった、懐かしい緊張感があったのです。
大人になってからの試合は、もちろんそれぞれ真剣に臨みましたが、心のどこかに
- 仕事
- 家庭
- 大会運営
などの雑念があったのです。
数か月前からしっかりと準備して練習を積み、試合では純粋にそれをぶつけ合う。
決して出し惜しみをしない、「ただ、ただ、卓球をやる」そんな真剣でピュアな時間でした。
私を含め、この時一緒に出た卓球仲間は、一人を除き全員緒戦や決定戦で敗れて、残念ながら本戦には行けませんでした。
一周回って・・・
しかし、この大会の予選突破が仲間の共通の目標になったのでした。
そして、今年2回目の挑戦で、私を含め4人の仲間がそれぞれの部で予選突破を果たしたのです。
- コロナの影響
- トーナメントの組合せ
など、実力だけではない幸運な面もありました。
本戦の申し込みをして初めて気付きました。
「これって、全日本選手権マスターズの部が正式な大会名なんだ・・・」
私は、別に大会の名称・種類など重要視していませんでした。
強い選手が集う県外の大きな大会に、挑戦したいだけだったのです。
卓球を始めた頃、高島選手に出会い、「いつかは、全日本選手権に出てみたい」と漠然と夢の様に思っていたのが、思わぬ形で現実となったのです。
本戦は10月8日~10日の3日間、福島県郡山市で行われます。
コロナの影響で開催が心配されましたが、予定通り行われるようです。
ちなみに、本戦に出場する仲間4人は、私を含め全員がカットマンです。
私以外の3人は全員異質ラバーを使用していて、両面裏ソフトは私だけです。
私は、3名の出場枠の3番目でした。
中学の時の構図となんら変わっていないな。そう、思いました。(笑)
私の冒険は、まだまだ続きがある様です。
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昭和40年12月31日生まれ。血液型O型。兵庫県西宮市出身。現在は静岡市在住。
中学1年より卓球を始め、卓球歴は40年以上。中学高校時代は鳴かず飛ばずの成績。高校時代は県大会前の地区予選3回戦ボーイであった。インハイなど全国大会出場経験無し。大学時代飛躍的に卓球技術が向上。東海学生卓球リーグ2部で全勝しチームの優勝に貢献し敢闘賞を受賞。3人の元インハイ出場の選手に勝つ。30代の時に東海選手権(年代別個人戦)で、ベスト8に入る。高島規郎選手、古川敏明を選手を師と仰ぐ。現在も現役選手として試合に参加している。静岡市卓球協会の常任理事として静岡市の一般の試合の大会運営や広報活動を行う。また中高生の指導に当たる事もある。2005年から卓球のメールマガジンを発行中。現在も続いている。著書「OBUさんの初心者卓球上達法~卓球が上手くなりたい人へ」(文芸社)