【OBUコーチ】卓球選手にありがちな怪我との付き合い方

OBUコーチ

私は、かれこれ40年以上卓球を続けています。

その間に何度か大怪我をして、卓球選手として窮地に追いやられた経験があります。

でも、それらを乗り越えて、現在も現役で卓球を続けています。

長い間スポーツを続けていると、誰でも必ず病気やケガに見舞われる時期があります。

私が、どんな怪我をしてどの様にして乗り越えてきたのかを、今回はお話しさせて頂こうと思います。

少しでも皆さんの参考になれば幸いです。

オスグット病

耳慣れない病名だと思いますが、私は卓球を始めて間もない中学1年生の時にこの病気に罹りました。

これは、成長期に固い地面で過度な運動をすると起きる、膝の軟骨が飛び出てくる病気です。

  • 階段の昇降
  • 歩く
  • 走る

など、膝に負担がかかるたびに痛みが伴います。

痛みが軽ければ運動は出来ますが、発症したら運動は軽めに抑えることをお勧めします。(と言うか、痛くて出来ません!)

骨の形状は治りません(飛び出たまま)が、成長期が終わる頃に痛みは無くなります。

この頃に、嘘のように痛みが引きます。

私は中学1年生の時、体育館の2階のコンクリートの床で練習したために発症したのだと思います。

膝に負担のかかるうさぎ跳びなども当時は普通にやらされていたので、さらに悪化したのだと思います。

発症すると満足に練習が出来ず、選手としての成長が止まってしまうので、この病気にかかるのは避けるべきです。

膝が痛くて、運動全般が出来ないのです。

卓球どころではなくなってしまいます。

ですので、成長期には可能な限り、体育館の様な木の床の上で練習することを強くお勧めします。

私の場合、幸いなことに高校1年生の頃から痛みが引きました。

やっと、ランニングなどのトレーニングが出来るようになりました。

その後、卓球のプレーをする上では、特に大きな支障はありません。

  • 小中高生の選手の方
  • 指導者の方

は、私の様に回り道しないようにご注意下さい。

また万が一かかってしまっても、成長期が終われば必ず痛みが引きますので、どうぞご安心ください。

アキレス腱断裂

私は40代前半に、試合中に左アキレス腱を断裂しました。

バックカットをして、ストップされた球を取ろうとして前に出ようとした瞬間でした。

ベンッという、自転車のタイヤチューブが切れるような音がして、激痛が走りました。

切れる瞬間だけとても痛く、後ろから誰かに蹴られたのかと勘違いし、思わず後ろを振り返ったのを覚えています。

救急車で病院に運ばれたのですが、不思議なことに切れた後は、安静にしてさえいれば全く痛みを感じませんでした。

  • 部分的に切れる場合
  • 完全に切れる場合

の2種類があるそうですが、私の場合は後者でした。

手術とリハビリで、1週間入院しました。

手術は腹ばいになり、部分麻酔で行います。

腱と腱を縫合する手術で、この部分が再び切れることはないと医者に言われました。

松葉杖とギブスの生活が2~3か月続き、その間通院してリハビリしました。

左脚全体が、驚くほど細くなっていました。

筋肉は使わないと退化するということが、身に染みて分かりました。

手術後3ヶ月して、ようやく松葉杖なしで歩けるようになりました。

卓球の練習が出来るようになったのは、手術後半年してからでした。

この辺り、個人差があると思います。

練習を始めてすぐに感じたのが、カットマンの前後の動きが怖くて出来ないことでした。

その恐怖心を取り除くのに、大変時間と労力がかかりました。

練習や試合を重ねる中で、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせ、だんだん怖さが薄れて行きました。

それはそれで良かったのですが、今度は練習や試合で沢山動いた後には、必ず左の踵が痛くなる問題が出てきました。

これは、今までアキレス腱が伸びていたところが強く縫い合わされて伸びないので、その負担が踵の腱にいっているからでした。

以前の様に跳ねる様な動きは、結果的に踵を痛めるのが分かったので、すり足で動く様にフットワークを変えました。

その動きを覚えるのに時間がかかりましたが、覚えた後は、前後に沢山動いても練習や試合後に踵が痛くなることは少なくなりました。

今では、アキレス腱はほとんど気になりません。

慢性的な腰痛

私は現在50代の半ばですが、慢性的な腰痛持ちです。

症状としては、脊柱管狭窄症の様に腰骨の4番と5番の間が狭いのです。

神経を圧迫して、ヘルニアの1歩手前と言ったところです。

運動も出来ますし日常生活も問題ないのですが、何かの拍子にきしむ様に痛みます。

前屈みの姿勢は要注意です。

元々は、高校時代にトレーニングの最中に痛めた箇所でした。

中高年になるまでは、腰骨を支える筋肉がしっかりしていたために、表面化しないで来ました。

しかし、50代になりたてのある時期に、別の病気で寝込んだことがあり、体幹の筋肉が落ちてしまいました。

それで、腰痛が表面化してきたのです。

40代の頃まではマラソン大会など参加していたのですが、今は軽いジョギングするのがやっとの状態です。

スポーツ整形や整体にも通いましたが、一時的に症状が軽くなるものの、基本的に完治することはないようです。

だとすると、長い目で付き合っていくしか方法はありません。

現在は通勤時に出来るだけ歩くようにし、呼吸法を採り入れた体幹トレーニングをしています。

歩数はスマホアプリで計測し、一日に一万五千歩を目標に楽しみながら取り組んでいます。

呼吸法は友人の紹介で、武道の先生の下で教わっています。

月に5、6回のレッスンを受けています。

その甲斐あって、身体の切れと体調が以前に比べるとかなり良くなってきました。

怪我とどう向き合うのか

好んで怪我をする人は、世の中にいません。

何かの拍子に痛めてしまうのが通常です。

図らずも怪我をしてしまった時に、怪我とどう向き合うのか。

対処法は2つあると思います。

  • 完全に休んで完治してから練習を再開する方法
  • 完治を待たず、怪我の様子を見ながら練習を続ける方法

どちらの方法も、アリだと思います。

私の場合、アキレス腱断裂の際は前者で、オスグット病や慢性的な腰痛は後者でした。

怪我をしてしまったことを、どう捉えるかも大変重要です。

自分の不運を呪い、嘆いてばかりでは、あまり賢いやり方とは思えません。

そういう私もアキレス腱を切った時は、卓球の練習はおろか日常生活もままならず、暗澹たる気持ちになりました。

すっかり細くなってしまった左脚を見て、布団の上に横になり天井を見つめていると、もう二度と以前の様な卓球は出来ないのだと悲しい気持ちになったものです。

仕事も休み、収入も減り、この先どうしようかと不安にもなりました。

しかし2ヶ月後、松葉杖をつきながらも仕事に復帰できた時、会社の仲間が明るく迎えてくれてどれほど嬉しかったか。

そして半年後、恐る恐る練習を再開して久しぶりに卓球が出来た時、球を打つ感覚がどれほど楽しく、嬉しかったか。

今まで当たり前の様に思っていたことが、実は大変ありがたいものだったと、大怪我をして私は初めて思い知ったのです。

怪我が私に大切な何かを教えてくれたと思っています。

病気や怪我は、生活や練習のどこかに無理があったから起きるのであり、またそのことを教えてくれるありがたい存在でもあるのです。

身体は借り物

最近では、色々な本を読み勉強したお陰で、自分の身体は自分のものではなく借り物だと考える様になりました。

私という存在は心(魂)そのものであり、私の身体に宿っているものなのです。

いつか身体は滅ぶのですが、心(魂)は滅ばず故郷へ帰っていくのです。

身体は他の物質と同様に、道具の一種です。

だから他の道具と同じ様に大切に扱い、労わってあげなくてはなりません。

大切に扱うとは、使わないことではなく、逆に大いに使いそれ以上に労わるという意味です。

料理人が使い込んだ包丁は、よく手入れがなされ、よく手に馴染みます。

身体も同様です。

大いに鍛えて、メンテナンスもきっちりやれば良いのです。

こういう考えに至ったのも、怪我を体験したからだと私は思っています。

全ては「これでよい」のです。

この記事を書いた人OBUコーチ(小吹 真司)OBUコーチ(小吹 真司)
昭和40年12月31日生まれ。血液型O型。兵庫県西宮市出身。現在は静岡市在住。
中学1年より卓球を始め、卓球歴は40年以上。中学高校時代は鳴かず飛ばずの成績。高校時代は県大会前の地区予選3回戦ボーイであった。インハイなど全国大会出場経験無し。大学時代飛躍的に卓球技術が向上。東海学生卓球リーグ2部で全勝しチームの優勝に貢献し敢闘賞を受賞。3人の元インハイ出場の選手に勝つ。30代の時に東海選手権(年代別個人戦)で、ベスト8に入る。高島規郎選手、古川敏明を選手を師と仰ぐ。現在も現役選手として試合に参加している。静岡市卓球協会の常任理事として静岡市の一般の試合の大会運営や広報活動を行う。また中高生の指導に当たる事もある。2005年から卓球のメールマガジンを発行中。現在も続いている。著書「OBUさんの初心者卓球上達法~卓球が上手くなりたい人へ」(文芸社)
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