【OBUコーチ】東京五輪開催の可能性はあるのか?
2021年の1月末に、この記事を書いています。
これから書くのは、私の個人的な希望です。
2020年に開催予定だった東京オリンピックが、1年延期されました。
開催まであと半年となった現在、私OBUが思うことを書こうと思います。
開催の可能性
コロナ禍になる以前の状態の開催、つまり多くの国と地域から人々が集まり開催するやり方はまず無理だと思います。
いくらワクチンが開発されたと言えども、全ての国と地域に行き渡り完全にコロナが沈静化するにはまだ時間がかかります。
開催するとすれば、コロナ禍ならではの特殊な形になるのではないでしょうか。
考えられるのは、完全無観客です。
- 選手と関係者のみ入国可能とし、入国後2週間は完全に隔離と毎日の検査を実施する。大会期間中も同様。
- この間一人でも陽性反応が出れば、接触の可能性のある人全員が隔離の上、処置を受ける。
- 選手は競技を棄権する。
- 外国の選手は大会終了後は直ちに帰国。
- 日本は万が一に備えて、東京近郊に万全の医療体制を敷く。
・・・など、です。
まず、こういう「どんな形なら開催出来るのか」という青写真が出来ないことには、話が進まないと思います。
その上で生じてくる問題を挙げて、対応を決めて行かなくてはなりません。
例えば、
- 参加できる国できない国が出て不公平が生じるが、それでも実施するのか。
- 参加国が少ない競技はどうするのか。
- 無観客にすることで開催国の経済効果は激減するが、それでも開催するのか。
- 万全の医療体制というが、日本国内でコロナはいつまでにどの程度落ち着いていなくてはならないのか。
などです。
素人考えでも思い付くのですから、専門家の人が意見し合えば、もっと深刻で広範囲な問題が出るでしょう。
IOCや日本の専門機関で、日夜検討されているのだろうとは思います。
しかし、考えれば考えるほど、開催の可能性は低いのでは?と悲観的な見方になってしまうのは私だけでしょうか。
延期という手はどうか?
きっと再延期のことも専門家の間で話し合われていることでしょうが、私は再延期はあり得ないと思っています。
選手も関係者も、延期は1年が限度でしょう。
もしもう1年延びて開催が2年遅れということになれば、選考からやり直すべきです。
- 開催に向けてピークを作ってきた選手
- 苦労して代表になった選手
にはとても残酷な選択だと思います。
延期ならば、むしろ中止すべきだと思います。
開催するか、開催しないか
私は、どんな歪な形であれ、東京オリンピックは開催して欲しいと思っています。
但し、そのためには条件があって、
- 日本国内で諸外国の受け入れ態勢が整っていること。
- 日本(東京)でコロナが収束して医療体制に余裕が見込めること
です。
現在は医療が逼迫して、一部崩壊が始まっているとニュースでは聞きます。
充分な医療を受けられず、自宅で亡くなる人がいると聞いて悲しい気持ちになります。
そんな人が日本に一人でもいるのであれば、そういう状況が続くのであれば、オリンピックの開催どころではありません。
そうならないように、あるいはそういう状況を最小限に抑えられるように、政府はコントロールすべきだし、私達国民は協力すべきだと思います。
私達一般の人は、
- 感染しない
- 感染させない
のスローガンの通り、
「無自覚で感染している可能性はゼロではない(ひょっとしたら無自覚で感染している可能性もあるかも)」
と肝に銘じて行動を慎むべきです。
これ以上医療関係者の方に負担をかけるのを、避けなくてはなりません。
それでも、私は東京オリンピックを開催して欲しいと願っています。
何十年あるいはもっと遠い未来に、ジョンレノンがイマジンという曲で歌った平和な世界が実現していると仮定して、そこから今を振り返った時に、
「ああ今の平和な世の中があるのは、世界中の人がコロナで苦しんでいる中でもなんとか開催した東京オリンピックがきっかけだったのだ」
と言われたら良いのにな、と思うからです。
オリンピックの本来の意味は、そこにあると私は思います。
普段はいがみ合い、争っていても、
「こんな時くらいちょっと休んで、国家対抗の大運動会でもやろうよ」
というのがオリンピックの始まりで、終わった後に、
「どうだい、そろそろ争いは止めないか。地球を大切に皆で楽しくやらないか。無理な話ではないよ。やっている間、競技に没頭している時は楽しかっただろ?僕たちは上手くやれたんだから、この先もきっと仲良くやって行けるさ」
という気持ちや感覚を言葉を超えて共有することが、オリンピックの目的なのです。
開催しなければ、今までと何も変わらない。
でも開催すれば、世界は一歩だけ前に進みます。
昭和40年12月31日生まれ。血液型O型。兵庫県西宮市出身。現在は静岡市在住。
中学1年より卓球を始め、卓球歴は40年以上。中学高校時代は鳴かず飛ばずの成績。高校時代は県大会前の地区予選3回戦ボーイであった。インハイなど全国大会出場経験無し。大学時代飛躍的に卓球技術が向上。東海学生卓球リーグ2部で全勝しチームの優勝に貢献し敢闘賞を受賞。3人の元インハイ出場の選手に勝つ。30代の時に東海選手権(年代別個人戦)で、ベスト8に入る。高島規郎選手、古川敏明を選手を師と仰ぐ。現在も現役選手として試合に参加している。静岡市卓球協会の常任理事として静岡市の一般の試合の大会運営や広報活動を行う。また中高生の指導に当たる事もある。2005年から卓球のメールマガジンを発行中。現在も続いている。著書「OBUさんの初心者卓球上達法~卓球が上手くなりたい人へ」(文芸社)