ワンランク上の自分になるために
諸般の事情で株式会社RealStyleさんから発行しているメルマガを終了することになりました。
これまでご愛読して下さった読者の皆様、お世話になりましてありがとうございました。
またどこかで皆様と繋がれたらと思います。
どうかお元気で卓球を続けられて、卓球が楽しいと思える瞬間を少しでも多く味わって頂きたいと願っています。
今号は総括的な内容で、今までの私の45年間の卓球人生を振り返り、改めて今思うことをお伝え致します。
ありがとうございます。
一番伸び悩んだ時期、一番伸びた時期
私の卓球技術が一番伸び悩んだ時期は、2つあります。
1つは高校時代。
指導者も練習相手も練習場もままならず、ただひたすら体力トレーニングと壁打ちと基本練習に明け暮れていました。
ライバルはどんどん大きな大会で活躍するのに、いつも自分は2、3回戦で敗退。
いつかは大きな舞台で勝てる選手になりたいという、その想いだけが頼みの綱でした。
もう1つは社会人になりたての頃。
時はバブルの最盛期。慣れない都会での一人暮らし。IT業界の仕事はかなり忙しく、卓球の練習をする余裕は全くありませんでした。
将来の自分を明確にイメージ出来ないまま、このままの自分で良いのか?と、疲れと焦りが募るような毎日でした。
しかし、これら2つの停滞期それぞれの数年後には、自分を取り巻く環境が劇的に変化し、卓球の技術も飛躍的に伸びました。
一番伸びた時期だったと思います。
数年間の停滞期と数年間の躍進期が交互に来る感じでした。
これが2回あったということです。
ずっと伸び悩んでいた時期も「ナニクソ」と頑張り続けたからこそ、続けて躍進の時期があったとも捉えられます。
事実、そうだったのかも知れません。
しかし選手としてベテランの年齢となった今では別の捉え方をしています。
改めて今思うこと
つまり、上手く行かないと伸び悩んでいた時期は、理想と現実のギャップに苦しんでいたわけですが、すでに飛躍の種を体内に宿していたのではないか。
逆に、躍進している時期は、まさにイケイケどんどんの勢いなのですが、すでに停滞のリスクを内包している、と。
それぞれの種は、気を付けていないと見過ごしてしまうものです。
伸び悩む時期も悲観し過ぎず、どうすればこの状況を脱することが出来るのかを模索し、諦めなければ光は必ず見えて来ます。
伸びている時期も楽観し過ぎず、どうすればこの好調を維持できるのか、油断はないか、またさらに上を目指すには何を目標にすれば良いかなどに気を配り、気を引き締めれば、好調期間を長引かせることが出来るはずです。
この年齢になっても、実はまだ私は卓球が上手になっている実感があります。
もちろん若い頃に経験した「躍進期」の様な勢いはありません。
しかしこの直前に、もがき苦しむ様な「停滞期」もありませんでした。
緩やかな成長曲線ではありますが、成長していることは間違いないのです。
若い頃に「卓球選手は何歳になっても成長できるぞ」と聞いて、そんな訳ないだろうと思っていました。
しかし今では「なるほど」と思える様になりました。
何度練習しても出来ない技術もあるのですが、それでも目標とする理想のプレーに向けて努力するのが楽しいと感じているのです。
調子が良いとほんの僅かですが、成長の手応えを感じたり出来るのです。
惜しむ気持ちと感謝の心
この様な心境の変化は、「あと何年大好きな卓球が出来るのだろう」という惜しむ気持ちから来ています。
それと色々な箇所に不調はあるものの、まだ元気に卓球が出来る丈夫な身体があると
いうこと。
これには感謝しかありません。(父さん、母さん、どうもありがとう)
今は来るべき全国大会に向けて、どきどきワクワクしながらも、やってやるぞと挑戦者の気持ちでいるのです。こんな幸せなことはありませんね。
私の尊敬する故荻村伊智朗氏は、現役時代「オレは死ぬとき一体何を思うだろう?そう思うと一分一秒も無駄に出来ない」と覚悟を決めて選手生活を送りました。
そして二度世界チャンピンになりました。
私は荻村さんほどレベルも高くなく、ピュアな気持ちで、身を削るほど真摯に取り組んでいる訳ではありませんが、それでも自分の卓球人生の残り時間を考え、噛み締めながら練習に取り組んでいることには変わり有りません。
もちろん、目の前の試合の勝利を目指すわけなのですが、本当に目指すのはもっと大きな目標でありたいものです。
今よりもワンランク上の自分になることを目指して参りましょう。
出来る・出来ないは関係ありません。それを目指す中に真の幸せがあるはずです。
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今まで長い間、私の拙い文章をお読み頂き、誠にありがとうございました。
またいつかどこかでお会いしましょう。