試合を通じて得たもの
先日、静岡市社会人卓球リーグ戦にチームの仲間と共に参加しました。
2023年度の最後の試合でしたし、次年度のある試合に向けた前哨戦として、私は心に期するものがありました。
真剣に臨んだ試合の中でしかできない経験を積むことが出来ました。
反省は良い点・悪い点の両面で
試合の反省と言うと、あれがダメだった、ここがいけなかったと、悪い点ばかりを挙げる傾向が日本人にはあると思います。
自分を戒める意味では良いけれども、やり過ぎると、試合をすること自体がつまらなく味気ないものになってしまいます。
だから、悪かった点と共に良かった点も、大いに挙げるのが良いと私は考えています。
悪かった点も、ただ挙げるだけでなく、では次回どうすれば良いか、そうするために必要な練習は何かまで挙げたいところです。
逆転勝利のマインド
まず、良かった点から。笑
第一試合のラストで出番が回って来た私は、2ゲームを先行されたところから3ゲームを連取し逆転で勝利することが出来ました。
敗色濃厚といった重苦しい雰囲気を吹き飛ばし、チームを勢いづかせる形になり、次の試合も勝利してリーグ優勝の目が出てきました。
逆に相手チームは勝利目前で勝利を逃して、勢いに乗れず結局最下位に沈むことになりました。
団体戦では、第一試合に勝つことがいかに大事かということが身に染みて分かる出来事でした。
何故、私は逆転できたのか。
それは、先のラージボールの試合で私がやられた嫌だったことを、この試合でやり続けたからだと思います。(「ラージボールで新たな気付き」参照)
あの試合で私がやられて嫌だったことは、感情の起伏があまりなく、終始一貫、相手に淡々と丁寧にプレーされたことでした。
凡ミスらしい凡ミスは殆どなく、何本も何本も回転の掛かったドライブを打ち込まれました。
何とか喰らい付いていったものの、ジリジリと追い詰められ、最後は私が根負けして自滅したのです。
状況を打開できる技術が無かったし、こちらがつけ入る隙を相手の中に見つけることも出来ませんでした。
今回の試合では、私がそれを相手に一貫してやりました。
最初の2ゲームは相手のペースで試合が進み、カットを打ち込まれましたが、ずっと耐えてカットを送り続けました。
サーブのトスの高さを徐々に変えて、こちらのリズムになる様に意識しました。
試合後半になるにしたがって、私のペースになって行きました。
マインドとしては、どんな時も「これから次の1本に向かう」と気持ちをリセットして臨むことです。
痛恨の逆転負け
1試合目を逆転勝ちした私は、次の試合も同じ様にカットで粘る試合をしてしまいました。
最初の試合を良い勝ち方をしたのですから、そのままの勢いで次に臨むのは正解です。
しかし、もう一工夫欲しいところでした。
意識してそういう作戦を採ったのなら、それで良いのですが、何となく試合に入ってしまった感がありました。
相手は先の私の試合を観ており、徹底的に粘り好球必打する戦術で来ました。
最初から粘り強く攻めてくる相手には、それ以上に粘り強く戦うか、序盤からこちらが仕掛けて少し場を乱しておくかしなくてはなりません。
ところが私はそれほどの覚悟を持つことも無いまま、相手の作戦をまともに受けてしまいました。
そして恐ろしいほど体力を削られてしまうという結果に繋がりました。
試合は何とか追いつき、最終ゲームも9-7で私がリードして私のサーブというヤマ場を迎えました。
ここで私は練習してきた3球目攻撃を試み、攻撃ミスをしてしまいました。次の1本も早めに攻撃を仕掛けてミスをしました。
2本連続の攻撃ミスで、9-9。
私は気付くべきだったのです。
体力を削られていて、自分の脚がもう動いていないということを。
相手もかなり体力を消耗していたはずだ、ということも。
ここで攻撃を選択したのは何故だったのか。
カッコよく勝ちたかったのか。
練習の成果を出したかったのか。
はたまた、勝利を焦ったのか。
勝負所だと感じたことは確かでしたが、正確な理由は自分でも分かりません。
結局、この2本の攻撃ミスが響き、私は逆転負けをしてしまいました。
結果論ですが、勝負所で思い切ってやるとは
「思い切って別のことをする」
「思い切って今までと同じことをする」
の2つがあると思うのですが、今回の場合は後者だったということです。
では、どういう基準で選択すれば良いか。
自分主導ではなく相手主導で選択する、というのが今の私の結論です。
つまり、
「どちらが相手がやられて嫌なことか」
で判断する、ということです。
今回の失敗で身に染みて分かりました。