試合直前のルーティーン
あなたは試合直前に必ずやっている行動、つまりルーティーンがありますか?
イチロー選手がバッターボックスに立った時必ずバットを垂直に立ててピッチャーを観る動作をしますよね。
この様に、その選手が必ずやる儀式がルーティーンです。
今号では私がやっているルーティーンと、「場」に対する私の考えをご紹介します。
試合直前のお辞儀
私がやっているルーティーンは、試合直前のお辞儀です。
「お願いします!」
審判のラブオールのコールと共に、試合する相手に対してお辞儀をします。
普通は対戦相手にしか行いませんよね。
私は対戦相手、審判、相手ベンチ、そして自分のベンチに対して、お辞儀(人がいない場合は会釈)をします。
これが私の試合直前のルーティーンになっています。
自分以外のこれらの4者にお辞儀するのは、私と対戦相手との試合という「場」を構成する人たちだからです。
簡単に言うと、私が試合をしている間、お世話になる方たちだからです。
対戦相手には、
「これからあなたと試合をします。あなたは私よりも強いかも知れない。あなたは私よりも弱いかも知れない。しかし選手としては同等の立場で、今の私の実力のベストを尽くしますよ。試合をして頂き、ありがとうございます」
という想いを込めます。
審判には、
「審判をして頂き、ありがとうございます。私の試合は長引くことが多いですが、何卒ご容赦願いたいと思います。どうか双方に公平なジャッジをよろしくお願いします」
と心の中で願います。
相手ベンチには、
「これからあなた方のチームメイトと試合をします。敵の立場ではありますが、私は精一杯プレーをします。この場を一緒に作り、盛り上げて頂きありがとうございます」
と心の中で宣言と感謝をします。
自分のベンチには、
「これから試合をしてきます。いつも一緒に練習して頂き、ありがとうございます。私の精一杯のプレーを見守り、私がどれだけ成長できたかを見届けてください。また皆さんの応援が弱気な自分を鼓舞する力になりますので、応援の方もよろしくお願いします」
と感謝とお願いをします。
私は試合を「どれだけ自分が成長できたか」を確認する場と捉えています。それは相手にとっても同じだと考えています。
本当に良い試合と言うのは、試合の中で相手も私も実力以上のものを出しつつ、プレーをしながら上手くなっている状態を指すのだと思います。
対戦相手と言うのは倒すべき相手であると同時に、私の能力を引き出してくれる最高のパートナーでもあるのです。
逆の立場でも同じことが言えます。
私は対戦相手にとって、最高のパートナーでありたいと思っています。
「本当に良い試合」というのは、滅多にあることではありません。
しかし、これから行う試合が、その滅多に起きない「本当に良い試合」である可能性もないわけではないのです。
そう考えると、1つ1つの試合がとても貴重な体験であると思われるのです。
1つの機会も無駄には出来ません。
いつの頃からかこの様な考えを持つ様になり、場に対する敬意を形として現わしたのが
お辞儀だった、というわけです。
試合という大切な「場」
試合は大切な1つの「場」である。私はそう考えています。
出来ることならば、その試合を「最高の場」にしたいと思っています。
特に年に一度しかない試合に向けては、自分は最高の場で最高のプレーをするのだ。そう自分に言い聞かせることが多いです。
場を構成するのは、何も対戦相手と私だけではありません。
先に述べた様に審判も相手ベンチも自分のベンチもその役割があります。
以前の試合で、こんな事がありました。
隣の富士市で行われた個人戦の大会での出来事でした。私と対戦相手は一進一退の攻防を繰り広げていました。
かなり神経戦の様相を呈してきていて、集中力を切らした方が大量失点をして崩れてその試合に負ける流れでした。
確か3ゲーム目だったと思います。
試合を終えて普段着に着替えた選手連れが、荷物を持ってちょうど私の後方のベンチの辺りに立ち止まって観覧席を指差しながら普通に会話を始めたのです。
明らかに私たちの試合には関係のない人たちで、しかも夏場で白いTシャツを着ていたのです。
卓球の試合会場のフロアに白いシャツで入ること自体、白いボールと重なりますので、選手としての常識を疑いたくなります。
私の視界には邪魔にならない位置でしたので無視してやり過ごそうかとも思ったのですが、対戦相手には明らかに目障りな存在に私には感じられました。
ですので、近くにいた私から「すみませんが別の場所で・・・」と言って移動してもらいました。
彼らにしても悪気はなかったとは思います。
しかし「場」を乱す存在はその場から立ち去って欲しかったのです。
その後、私たちはお互いに試合に集中でき、お互いにベストを尽くしました。結果としては、私が僅差で勝つことが出来ました。
私は「場」を大切にしたいですし、誰かの「場」の邪魔にならない様に気を付けたいと思っているのです。
たとえ以前と同じ対戦相手であろうとも、以前と全く同じ試合はあり得ません。
試合は、どんなレベルであっても、唯一無二の貴重な体験の場であるからです。